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help リーダーに追加 RSS スカスカ頭が柔らかいのか−新しい学習指導要領

<<   作成日時 : 2005/09/06 06:54   >>

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icon これも以前のサイトにアップしてあった文章です。「ゆとり教育」の弊害ということで、2001年に書いたものです(だから、最後にテイエムオーシャンなんてのも出てくるのよ)。
 まっ、予想通りと言うか、5年も経たないうちに文部科学省も路線変更しちゃいましたけどね。

 先日、来年度から導入される新しい学習指導要領で使われる教科書検定の記事を新聞で読みましたけど、ダメでしょ、あれじゃ。だいたいが、教える内容を削減すれば、ゆとりが生まれるという発想自体も間違いであれば、教える内容を減らせば、「考える力」なるものが育成されるという考え方も間違っています。
 それで上手くゆくのなら、週休二日制を導入し、やはり同様に教える内容を減らした前回の指導要領の改定で、すでに何らかの効果が出ていることでしょう。しかし、実際には、それでゆとりが生じたなんてことは怪しいかぎりであるばかりか、学力低下が強く言われるようになり、学級崩壊という問題までが出てくる始末。
 にもかかわらず、今回の改定でさらに教える内容を減らすというのですから、これじゃ、現状をますます悪化させてゆくだけです。また、現場の先生たちにも、さらなる負担を強いることになります。

 最低限、その最低限という線引き自体が怪しいものですが、それ以前に、最低限のことを教えようと思ったら、より以上のものを教える必要があるんです。だいたいが人間なんて忘れやすい動物、10のことを教わったとしても、その10すべてのことを憶えていることなどまずありえません。10のことを習得させたいと思ったら、それ以上のものを叩き込んで、残るのが10となるようにしないとダメなんです。
 しかし、今回の学習指導要領の変更は、その最低限なるものだけに絞り、教科書にもそれを徹底させている。これじゃ、ホント、ものを知らないバカしか出てきませんよ。そうして、ものを知らなければ、考えることもできない。考えるための材料そのものが不足しているんですから、何かをあれこれ考えるなんてこと、できるはずもないでしょう。
 ものを考えるきっかけや題材、また発想のタネとなるものは、どこに転がっているかわからないものです。教科書ひとつ取ってみても、補足としてつけられたコラムなどに、そうしたものが潜んでいることは、良くあることです。生徒の知的好奇心を喚起するということでは、むしろ、そうしたオマケの部分の方が役に立っているのかもしれません。しかし、今回の検定では、そうした逸脱さえもかなり抑えられてしまったようです。「考える力」の育成どころか、考える機会さえも減らしているのですから、どうしようもありません。

 今回の学習指導要領の変更で、できる生徒とできない生徒の二極分化は、ますますひどくなることでしょう。また、それよって、学校教育そのものもさらに乱れてゆくと思います。特に、公立校は手のつけられない状態になる可能性があります。
 教える内容のレヴェルを下げると、できる生徒や意欲のある生徒は授業についてこなくなります。ガキは文字通り「餓鬼」であり、はっきり言って猿です。内容が薄っぺらで退屈な授業なんかに、つきあうだけの忍耐力なんか、ありはしません。
 さらに始末に負えないことに、この猿は甘やかせばつけ上がるばかりでなく、ひとたび相手をナメると、そのナメた相手には従わなくなります。自分がすでに理解していることやすぐに理解してしまうことを、授業でだらだらと続けてゆく先生など、侮蔑の対象でしかなく、そんな人間には、猿たる彼らは従いません。こうなってしまうと、教室は統制のとれてない猿の群れ状態となり、いわゆる「学級崩壊」へとつながってゆきます。
 また、「崩壊」とまではいかなくても、一部の生徒が授業についてこなくなるのですから、そこに無気力や倦怠が生じることになります。こうしたやる気のなさは、間違いなく、周囲の生徒にも影響を及ぼします。とりわけ、勉強嫌いの生徒やデキの悪い生徒は、こうした雰囲気に染まりやすく、ただでさえ乏しいやる気をなくし、余計に成績を悪くしてゆきます。しかし、その雰囲気を生み出したできる生徒は、学校の授業にはついてこないというだけで、塾などではしっかりやっているので、成績は上がりこそすれ、下がりはしません
 こうして学力の二極分化は進み、二極分化が進むほどに、学校の授業はより成立しなくなってゆきます。つまり、教える内容を減らしたところで、いわゆる「落ちこぼれ」は減らないばかりか、授業が成立しにくくなる状況をさらに生み出してゆくということです。

 授業の進度や深度をどうするかというのは、難しい問題です。それは、個々の生徒の理解度に合わせなければなりませんから、実際に授業を展開させてみないと決められないところがあります。一対一で教えるんだったら、いいんです。相手はひとり、その生徒の理解度だけに合わせればいいんですから。しかし、教室で多人数を相手にする場合には、どうしてもそこに線引きをする必要が出てきます。その際、そのラインをどこまでのものにするかが悩みのタネなんです。
 上に合わせれば、下はついてこれなくなるし、下に合わせれば、上がついてこなくなる。極端なことを言えば、ターゲットをどこに絞るかによって、そうした状況が待ち受けています。もちろん、できうるかぎりすべての生徒にちゃんと理解してもらうというのが理想なんですが、実際問題としてそれはムリだと思います。ただ、「最低限ここまでは全員に」というラインはあります。しかし、それはその最低限以上のものを示した結果での話です。
 しかし、新しい学習指導要領では、その最低限のラインを守らせようとしている。冷淡な言い方ですけど、下のレヴェルに合わせちゃダメなんです。下のレヴェルに合わせると、その最低限のラインがさらに下がります。これは、間違いないです。人間はそういう風にできているのです。
 そうして、教科書が指導要領にあわせて薄っぺらなものになってしまっている以上、これまで通りのレヴェルを維持しようとすれば、自ずと補助教材に頼らざるをえなくなります。それが市販のもので間に合えばいいのですが、間に合わなければ、教師自身がプリントなどを自主作成しなければなくなります。また、カリキュラムをどうするかに関しても、練り直さなければなりません。このように、今回の指導要領改定は、真面目な先生にますます負担を強いるものでもあるのです。

 私学はある程度自由にカリキュラムを作成できるので、今回の指導要領改定の害悪をまだある程度は回避できますけど、上からの締めつけが厳しい公立の場合は、そうもゆかないでしょう。そうなれば、公立校の学力低下や荒廃は避けられず、そんなところに行かせたいと思う親がいるはずもなければ、行きたいと思う生徒もいるはずがなく、私学志向はより強まってゆきます。そうして、学力のある生徒が私学へと流れてゆくために、公立校のレヴェルはさらに低下してゆく。教室内で生じたのと同様の悪循環が、ここでも生じることになります。
 また、その私学志向が中学からとなれば、塾通いの小学生は増え、塾で濃い内容のものを教わっている生徒は、ますます学校の授業と先生をナメるようになり、授業のボイコットも増加してゆくことになるでしょう。と言う前に、もうすでに、塾と学校とでの教える内容の格差から、学校において授業崩壊が生じていると思いますけどね。

 それにしても、新聞報道での内容しか知りませんが、新しい教科書、ホント内容が削られてますねぇ。台形の面積の公式を不必要だから載せるなって、いったいどういうことなんでしょ。「考える力」ということでは、台形の面積の公式はふさわしいものだと思うんですけどね。
 だって、台形の面積の公式なんて、三角形の面積の公式の延長線上にあるものでしょ。「なぜ台形の面積は(上底+下底)×高さ÷2なのか?」ということを考えた場合、ただ図形を見たままじゃわからないけれど、対角線を一本引いてみれば、ほらっ、高さの同じ三角形が2つ。そうなると、台形の面積はその2つの三角形の和で求められるから、「上底×高さ÷2+下底×高さ÷2」となり、「×高さ÷2」の部分が同じだから、これでくくって台形の面積の公式「(上底+下底)×高さ÷2」の出来上がりっと。
 ここでまず大切なのは、対角線を一本引くだけで2つの三角形が現われるということ。対角線だけじゃなく、幾何での補助線もそうだけど、一本の直線をくわえるだけで新たなものが見えてくるということには、驚きもあれば、発想のヒントとなりうるものもある。次に大切なのは、計算はかけ算割り算が先で足し算引き算が後ということの確認があり、かけ算割り算の部分が同じであれば、それでくくれるということの確認があるということ。
 にもかかわらず、改定される学習指導要領では、そんな性格を持っている台形の面積の公式もカット。おまけに、円周率も「3」ですって。ただでさえ、満足に少数や分数の計算ができないバカが増えているというのに、これ以上、計算のできないガキ増やしてどーすんでしょ。
 そう言えば、テレビの報道に出てきたんですけど、小学校の算数で、教科書に電卓マークがついてる箇所では、電卓を使って計算するとのこと。これ見たとき、あたしゃ、めまい起こしそうになりましたよ。何が悲しゅうて、小学生レヴェルの算数で電卓使わにゃならんでしょ。ホント、これじゃ、計算能力のないバカが増えても仕方ありません。計算能力なんて、実際に計算をやらなきゃ高まりようがないんですから。
 それに、これ、計算能力に限ったことじゃないんですよ。こんなことで電卓叩いてなんてことをやっていたら、いつまで経ってもノーミソはほげほげ状態のままで、知的能力そのものが育ちゃしません。
 学習というのは、一回でひとつのことを憶えるものではなく、それを何度も何度も繰り返してゆくことで、憶えてゆくものです。また、憶えるということでは、一回でひとつのことを憶えるようとするのではなく、一回は一回、意味連関のネットワークを作り、なるべく多くの量のものを憶えようとすることが大事なんです。バラバラに憶えたものは、たとえ一回の量は少なくて負担は軽くても、すぐに忘れます。
 人間のアタマは、そういう風にできているし、ある程度の過負荷をかけないと鍛えられないものなのです。意味連関のないものをバラバラに詰め込むのはダメだけれど、意味連関のネットワークを作りながらのノーミソへの詰め込み、叩き込みは、むしろ必要なことなんです。過負荷のない状態じゃ、ノーミソは育たず、ガキの頃はそうした過負荷を必要としている時期です。
 また、そんな勉強ができるのは、20才ぐらいまで。自我が育ち、自分というものが確かなものになってくると、自分と結びつけられない、意味のない勉強や意味のわからない勉強は次第にできなくなってきます。
 にもかかわらず、小学生のガキンチョを甘やかすだけなんですから、これじゃあ、ガキは餓鬼のまま、猿として育ってゆくだけで、どーしようもねぇ大人猿どもがはびこる結果になることは、間違いないです。

 まっ、文部省が正しいのか、私が正しいのかの結果は、5年10年経てば、自ずと出てくるでしょう。残念なことですけど、競馬の予想や自分に関する予想はハズしまくっても、自分から離れたことへの予想はまずハズさないのが私ですから、この私の予想、昨日の桜花賞のテイエムオーシャンの単勝より硬い鉄板予想、的中間違いナシだと思いますけどね。

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