undercurrent

アクセスカウンタ

zoom RSS 学習能力というものがないのかな

<<   作成日時 : 2007/02/07 03:37   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

icon 「女性は子どもを産む機械」発言で騒動を引き起こした柳沢厚生労働大臣、反省していると言ったその舌の根も乾かぬ内に、今度は「若い人たちは、結婚したい、子どもを2人以上持ちたいという極めて健全な状況にいる。若者の健全な希望にフィットした政策を出していくことが大事」などと発言し、再び一騒動を巻き起こしてくれそうです。

 柳沢厚生労働相は6日の閣議後の記者会見で、参院の自民党議員から辞任要求が出ていることに対し「与えられた任務に、私の持つ力のすべてをあげて取り組んでいきたい」として、改めて辞任を否定した。さらに、今後の少子化対策への取り組みについて「若い人たちは、結婚したい、子どもを2人以上持ちたいという極めて健全な状況にいる。若者の健全な希望にフィットした政策を出していくことが大事」と述べた。

 この人には学習能力というものがないんでしょうか。「健全」なんて価値を付与するような言葉を使えばどうなるかなんてことは、チョット考えればわかることでしょうに。
 こう書くと、「別にそれ以外の場合を『不健全』としたわけじゃないだろ。いちいち揚げ足を取るな」などと言う輩も出てくるでしょうが、では、それ以外の場合はどうなるんでしょうか?
 「若い人たちは、結婚したい、子どもを2人以上持ちたい」ということを「極めて健全」とすれば、自ずとその価値の序列は決まってきます。「若い人たちは、結婚したい、子どもを2人以上持ちたい」ということを「極めて健全」とし、それ以外の場合も「(極めて)健全」であるというのなら、すべてが「(極めて)健全」ということになり、わざわざ「若い人たちは、結婚したい、子どもを2人以上持ちたい」ということを「極めて健全」と言う必要はありません。
 それを「極めて健全」と表現した以上は、そこに価値の序列が表わされており、発言者の価値観が反映されていると考えるのは、揚げ足取りでも何でもなく、単なる国語力の問題です。たとえそれ以外の場合を「不健全」と表現しているのではなくても、あるものに価値を置く表現をすれば、それ以外のものはそれよりも劣るものとして受け取られるのは当たり前のことです。そんなこともわからずに、事実の報告の中に主観的な内容を表わすような言葉を不用意に持ち込むのですから、意識性も国語力も低いとしか言いようがないです。

 まったく、不適切な比喩で問題になったばかりだというのに、「反省」なんて言葉が羽毛よりも軽く吹き飛んでしまうように、すぐさまこんなアホな発言がでてくるんですから、呆れ返ります。
 「若い人たちは、結婚したい、子どもを2人以上持ちたい」ということを「極めて健全」とする価値観そのものも問題でしょうが、それ以上に、どんな表現を用いるとどうなるのか、そんなことさえ推測できないオツムの持ち主が大臣をやっていられるんですから、ホント、この国はイイ国です。

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
URL(任意)
本 文
学習能力というものがないのかな undercurrent/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる