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zoom RSS う〜、今週はつらかったです

<<   作成日時 : 2009/05/23 22:26   >>

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icon 5月も半ばをすぎ、ようやく現場の数が元に戻りつつあり、今週はみっちり6日勤務。
 って、今週はもう最悪。早上がりがほとんどなかったというのもあるけど、それ以上に今週は暑さに加えて花粉が飛散しまくり。鼻はカユくて鼻水ぐじゅぐじゅ状態だし、体も暑さとアレルギー反応で微熱をもって熱っぽいし、何よりもひどかったのが目。
 花粉に反応してかゆいばかりか、腫れぼったく、涙も花粉と埃ででろでろ状態なもんだから、まばたきするのもしんどく、目が乾いて仕方がない。おまけに、紫外線も強いもんだから、目は完全に限界状態。かゆいやら重いやら痛いやら息苦しいやら、もう目を開けてるのもつらければつぶっているのもつらい。
 きれいな涙が出てこないもんだから、コンタクトも涙とともにでろでろの状態で乾きがち。白く濁ってしまい、ボヤけてものをはっきりと見ることが出来ない。しかも、そんな状況でコンタクトを使用していたもんだから、レンズの劣化が異様に速く進み、2週間使い捨てタイプのものが10日足らずで使用不可になってしまいました。
 今週は帰ってきたら、速攻でコンタクトを外し、シャワーを浴びて目を洗い、シャワー後は目の回りにメンソレータムを塗ってすっきりさせるとともに、目の腫れを抑えるなんてことをしてました。
 昨日今日は曇りがちで少なくとも紫外線の方は弱かったので少しは楽でしたけど、花粉の飛散はそのまま。例年、こんな状態が梅雨入りぐらいまで続くので、ホント、憂鬱です。

 と、そんな状態なもんですから、世間で騒がれている新型インフルエンザに関しては、「あ〜、んだ、そんなもん。どうでもイイよ。それよりも花粉と紫外線をどうにかしてくれ」となっちゃってます。
 実際、ここまでの罹患者の内訳を見てみると、新型インフルエンザにかかりやすいのは10代を中心とした若年層。年齢が上がるにつれ、罹患しにくくなり、かかっても症状が出にくかったり、症状が軽くて済んでいたりするようです(そのため、渡航歴のない10代の人間に国内感染が出たのでしょう)。
 しかも、新型インフルエンザ自体が強毒性ではなく弱毒型であり、10代なんてものははるか昔に通り過ぎてしまったあたしにとっては、新型インフルエンザは、ホント、どーでもイイことになっています。

 しかし、世間の人たちやマスコミはそうではないらしく、まあ、連日騒ぐ騒ぐ。東京ではまだそれほどではないですけど、テレビのニュースなんかを観ると、神戸や大阪ではほとんどの人がマスク着用。浅ましいと言うべきか、バカバカしいと言うべきか、ともかく高を括ってるあたしからすると、呆れざるをえないことです。
 一定数の罹患者が出て来た時点で、今回の新型インフルエンザが10代を中心とする若年層の罹患率が高いというのは自明のことでしょう。その10代の人たちがマスクをするというのなら、まだ理解できます。しかし、イイ年こいた大人たちが「新型インフルエンザにかかりたくない」とこぞってマスクを着用しているのには、ホント、浅ましいという思いを禁じえません。
 気休め以上の効果はあるのは間違いないけど、マスクを着用したからといって、インフルエンザにかからないかと言えば、そうではないでしょう。品切れになるまでにマスクを買い漁るなんてことをするほどまでにインフルエンザにかかりたくないというのなら、「マスクだけじゃなくゴーグルもして、手には手袋をはめ、もっと防御態勢を整えといた方がいいんじゃない。いっそのこと防護服も着る?」なんてことを言いたいぐらいです。
 それに、そうやってマスクを買い漁っていることが、テメェでテメェの首を絞めることにつながりかねない、つまり、かえって感染を拡大させることになるかもしれないということがわからないのでしょうか。マスクの効果のひとつは、ウィルスや菌の鼻や口からの侵入を防ぐというというものですが、その一方で、ウィルスや菌の拡散を防ぐというのがあり、後者の方がより重要です。
 新型インフルエンザにかかっている可能性がある人や現実にかかっている、もしくはかかっていた人がマスクを着用することは、健康な人がマスクをつけているより、感染拡大を防ぐということでは効果が大きいです。いつ入ってくるかわからないものを防ぐことより、その出所を抑える方が確実で効果があるのは明らかです。
 しかし、そのためのマスクが品切れとなっていては、本当に必要である人のところには回らないということになってしまいます。99人の健康な人にマスクを配ることと、1人の罹患者、もしくは罹患している可能性のある人にマスクを配ること、どちらを選択するかです。
 また、自身が「もしかしたら。ん〜、でも」なんて状況の際、着用すべきマスクがないなんてことになったら、いったいどうします? おとなしく自宅に引き籠もってますか?

 インフルエンザの蔓延ということに関して、それが飛沫感染という感染経路がたやすく生じてしまうことによるということを考えると、私は「遅かれ早かれ」の問題だと思っています。ワクチンの接種などによって抗体を獲得していないのであれば、誰もが感染する可能性を持っており、その状況下では、いずれにせよ感染は拡大するものであり、その速度が速いか遅いかの違いしかないということです。
 その考えからすると、患者数がある一定のラインを越えたところで、感染拡大を防ぐことを主眼とする対策から、いかにして重症者や死者を出さないようにするのかという対策にシフトする必要が出て来ることになります。それは、政府だけでなく、個々人においてもそうです。
 誰がかかりやすく、誰が重症化しやすいか。感染拡大を防ぐということにおいてもそうですが、重症化を防ぐということにおいても、完全ではないにしろ、一定の効果が望めるマスクというものを、必要度の高い人のところに確実に行き渡るようにするにはどうすべきか。それは個人レヴェルで出来ることだと思いますし、すべきことだとも思います。

 幸いにして、今回の新型インフルエンザは弱毒型でしたけど、これが強毒型だったら、いったいどうなっていたのでしょう。弱毒型ですら、この騒ぎよう、この慌てぶりなのですから、強毒型だったら、パニックどころか、下手したら暴動さえも起きかねません。さらに、特定の誰かや機関など、例えば最初の感染者やその感染者のいた会社などを悪者にして、魔女狩りさながらのバッシングもそこかしこで起きることでしょう。
 実際、東京での最初の感染者が出た洗足学園高校に対して、「うちの子が同じ電車を利用した可能性がある。感染したらどうするんだ」などいう浅ましさ丸出しの抗議をしたバカ親や、「社会的責任を考えろ」などと言い放ったド阿呆もいたとのことです。
 しかし、「社会的責任を考えろ」って、テメェのバカさ加減を棚に上げてよくそんな偉そうなことを言えたもんです。自身の中にある不安を自ら抱え込んでいることが出来ず、目についたものを悪者にしてねそれを叩くことで自らの中にある不安の解消を図ろうとする。浅薄にして実に浅はか。こんな輩には、逆に「テメェの存在自体が社会の害悪でしかないのだから、とっとと消え失せろ」と言葉を返してやりたいです。

 洗足学園高校の前田隆芳校長は会見で、同じ敷地内にある幼稚園から大学院まですべての学校を27日まで休園、休校にすることを発表した。「一般の方に迷惑をかけることになり、大変申し訳ない」と謝罪。入院中の生徒からの「本当に申し訳なかったと伝えてほしい」とのメッセージを読み上げると大粒の涙をこぼした。

 女子生徒らが参加した米ニューヨークでの「模擬国連会議」の主催者から今月1日付で、参加予定各校に「ニューヨークで発生している新型インフルエンザについては状況を注視しているので、会議をキャンセルする理由は全くない」との電子メールが送られてきた。渡航前には保護者会を開き状況を説明したが、出席した保護者から「こんな機会はめったにない。ぜひ行かせてほしい」との要請され決断したという。前田校長は「主催者からメールをもらい、アメリカでは十分な態勢ができていると思ったが、責任は許可を出した私にある」とうなだれた。

 学校には数十件の電話がかかっており「社会的責任を考えろ」や「うちの子が同じ電車を利用した可能性がある。感染したらどうするんだ」といった同校の保護者以外からも苦情があったという。

 マスクの買い漁りや着用に代表される新型インフルエンザに対する恐慌ぶりや、この手の抗議に見られる叩きやすいところを叩くといった魔女狩りぶりを見ると、あらためて日本人の歪み矮小化した利己性というものを思い知らされます。
 「場の空気」だとかいった言葉に代表されるように、周囲との調和を心がけ、利他的であることを強要される母性型社会の中で、日本人は個として「私」を前面に出すことを抑えられると同時に、自らも個として「私」を前面に出すことを厭う傾向が強い。しかし、ホロンは統合傾向と自己主張傾向を併せ持ち、「個人」というホロンも例外ではない。抑えられ、控えられた自己主張傾向は、無意識の側に回り込み、集団主義や利他性の合い間合い間から矮小化した形で漏れでてくる。
 「私」を前面に出した形での利己性は抑えられている代わりに、匿名性という仮面をかぶった際には、その利己性には歯止めが利かない。集合的であることを求められ、それに合わせているがゆえに、そこからはみ出したものや自らが帰属する集合体を脅かすものには、恐ろしいまでの残虐性を発揮する。「個」としてのありようの脆弱さを、集合性や利他性の曖昧模糊とした連帯感の中で解消しているため、いざ自らの脆弱性に対峙しなければならなくなったとき、脅え狼狽え、ちょっとのことにも過剰な反応を示す。
 一時期「心の時代」だとか言って「こころ」なるものがもてはやされたけど、結局はそれも謳い文句のみ。自らの内なるものと対峙し続けるという孤独な作業を抜きにして、「こころ」なんてものが見えてくるはずもないというのに、「自分」だとか「こころ」だとかいったものをどこかに探しに行ったり、よそから与えられたものを受け取るばかりだったりして、自らの内なるものと対峙し続ける強さもなければ、その孤独に耐えうるだけの力もない。
 そういった浅薄さ、脆弱さは、いつまで経っても変わらないのかな。そんなことを思わざるをえない今回の新型インフルエンザ騒ぎです。

 22日付の米紙ニューヨーク・タイムズ(電子版)は、神戸発のルポで新型インフルエンザ拡大によって一部、パニック状態になっている日本の対応を紹介。日本社会にもともと「衛生状態への強迫観念」があるとした上で、特に感染症など海外からの病気には「パラノイア(偏執症)な国」だと伝えた。

 記事は首都・関東圏でも感染者が確認されたことから「新たな不安の高みに達した」と指摘。共同電によると、神戸市内のスーパーには日用雑貨を買いためるために客が列をつくり、家から外出しない親子もいると伝えた。

 って、そんなこと、今のあたしにとっちゃ、どうでもいいことなんですけどね。
 鼻のかゆみはないけど、今も目はドロドロ。とにかくすっきりしたいというのが本音です。

表紙『ホロン革命』
 アーサー・ケストラー 著 田中 三彦・吉岡 佳子 訳
 工作舎

表紙『母性社会日本の病理』
 河合 隼雄 著
 講談社プラスアルファ文庫





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