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zoom RSS これで今年も終わりだね、っと

<<   作成日時 : 2010/12/31 17:52   >>

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icon 結局、12月も書かず仕舞い。やる気ナシのまま31日になってましいました。
 去年ほどではないにしろ、今年もやっぱり「クソッたれ」と言いたくなるような一年。まあ、このまま大きな変化がなければ、来年も、と言うか、これから先はこんな状況で済めば御の字、次第次第に追い込まれ行き場がなくなるのがオチなんでしょう。

 さて、さっき買い物に行ってきたけど、例年通り、混雑していてレジにも長い列。人ごみが大っ嫌いで並ぶのも大っ嫌いなあたしは、もうそれだけで不機嫌。
 その帰り道、母親に会ってフグをもらい、それで今年の外出は終了。あとは、部屋でおとなしくしてます。

 しかし、いつも思うことなんだけど、レジ待ちしている間、カゴを床に置くのは、まあ、いいとしても、列が動いた際、それを足蹴にして動かしてゆくって、どういうことなんでしょうね。食べ物が入ったカゴを足蹴にできる無神経さをあたしは理解できません。
 しかも、それをしているのが若い連中というのなら、「そういうことを教わってきていないんだろうな」ということで多少は納得できます。しかし、そうやって足蹴にしているのが、どう見ても30代以上っていうんですから、ますます理解できなくなってきます。
 食べ物が入ったカゴを平気で足蹴にできる連中って、いったいどんな育てられ方をしてきたんでしょう。あたしがガキの頃に食べ物を粗末に扱ったら、良くて小言、悪けりゃはたかれてました。しかし、足蹴にしている連中を見れば、あたしより年上とおぼしきのも多くいて、これは単なる育てられ方の問題ではないのかもしれません。
 昔は食べ物を大切にする気持ちがあったけれども、次第にそういった気持ちを失ってゆき、食べ物をぞんざいに扱っても何とも思わない人間が出来上がったのかも、そんな気もします。

 原因がどうであるにせよ、上の世代がそんなことをしていたら、下の世代、若い世代が、同様に食べ物をぞんざいに扱っても何とも感じないようになっても仕方がありません。自らの生きざまで語れないものを、他者に伝えることはできません。生きざまを伴わない言葉は、実がなく空疎なものであり、人を動かす力を持ちえません。
 レジ待ちの間のカゴの扱いという些細なことだけれど、まず表層に現れてくるものは往々にして些細な形をとるものです。そうやって些細な形で現れてきているものほど、誰の目にも明らかにわかるような形で現れるようになったときには、手の施しようがなくなっているものです。
 食べ物というのは、元を正せば命であり、その命が多くの人の労力によって何らかの形をもって私たちの元に届けられたものです。ですから、食べ物をぞんざいに扱うということは、その元となった命やその過程にいる人々の働きをもぞんざいに扱うということです。それは「思いやり」や「感謝」気持ちを持たないということであり、命や他者の働きに対してそうした気持ちを持たない人間が増えればどうなるか。そんなことはあたしがあらためて言うまでもないことでしょう。

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