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<<   作成日時 : 2004/11/03 06:53   >>

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icon イラクで武装集団に拘束された香田証生さんの事件は、殺害という結果を迎えてしまいました。予測されうることだったとはいえ、そうして、私自身、ここで香田証生さんを「バカ」呼ばわりもしたし、「ほっとけ」とさえ言ったのですから、この件についてどうこう言う資格もないし、言うにしても今さら言うべき言葉も見つかりません。
 ただ、日本国内での反応として、4月に拘束されたときと同様に「自己責任」という言葉が口にされることがありましたが、この「自己責任」という言葉に関しては、何とはないウサン臭さを伴った違和感を覚えてしまいます。確かに、私自身、今回の件に関しても、前回の件に関しても、「自らの行為の代償は自らが支払え」「テメェのケツはテメェのケツで拭け」と言っていますし、「その代償が自らの命であったとしてもそれは仕方がない」とさえも言いました。でも、私はそれを「自己責任」という言葉でまとめることはできませんでした。

 確かに、危険極まりないイラクの地に入るという行為を行った責任は自らにあります。そうして、そのことによってもたらされる結果を自ら引き受けねばならないということは、「自己責任」と呼ぶべきものなのでしょう。しかし、「責任」ということで言うなら、他の人にはまったく「責任」はなかったのでしょうか。いずれのイラク人質事件に関しても、当事者以外はまったくの無関係であったのでしょうか。
 それは違います。国際社会の中で日本とイラクとの間につながりがある以上、日本がまったくの無関係と言うことはできません。ことイラク戦争に関しては、日本は真っ先にアメリカを支持した上、自衛隊をイラクに派遣することさえしており、今もって戦闘状態にあるといえるイラクの状況にしっかりと加担してしまっています。これでまったくの無関係だとは、とてもじゃないが言えないでしょう。そうして、イラクの現状をひき起こした情勢の中に足を踏み入れている以上、無関係ではないどころか、その「責任」さえも担っています。
 これは「日本」という国家だけの話、つまり、個人から遊離した話ではありません。国家が民主主義によって運営されている以上、イラク戦争の問題には国民一人一人が関わっており、それぞれにわずかながらもその「責任」を担っているのです。
 香田証生さんが殺害された今回の事件に関しても、確かに、そんな場所へのこのこと出かけてゆくなどという愚かな行為をしたことに対する責任は彼自身にあります。しかし、そのような事件を引き起こすような状況を作り出した責任は、わずかではありながらも、この国に住む一人一人にあるのです。
 だからと言って、私は悪者探しをしようというのではありません。悪者探しなどしたところで、堂々巡りになるだけです。それは自分を部外者の立場において、自らの「責任」を意識せずにいようとすることでしかありません。
 ここに、私が「自己責任」という言葉に対して違和感を感じる理由もあります。「自己責任」と言ってしまえば、「すべておまえの責任だ」としてしまうことができ、自らを局外者の立場において自身の「責任」は意識せずに済むようになってしまいます。しかし、香田証生さんが自らイラクに入ったことは別としても、イラクの現状に対する責任は私たち一人一人にも存在しています。ですが、「自己責任」という言葉は、そうした現実を覆い隠してしまいます。
 4月の人質事件にしても、今回の香田証生さんの事件にしても、そのことに対して「自己責任」という言葉が使われることが多かったのには、そうした理由があるのではと私は思っています。その行為を「自己責任」としてしまえば、仮に不幸な結果を迎えたとしても(今回はまさにそうだったのですが)、自らは局外者としてその重みを引き受けずに済みますから(このことは、戦死者を「英霊」として祭り上げてしまうことと同じだと思う)。

 私自身、「自己責任」という言葉は使わなかったにせよ、4月の人質事件に関しても今回の件に関しても、当事者に対して腹立たしさを感じ、厳しい言葉を言ったのには、現実を見たくない、自らの「責任」というものを意識したくないという理由があったと、今は思っています。香田証生さんが殺害されたことで、そのことがわかりました。
 「ほっとけ」と言っておきながら「今さら何を」ですが、香田証生さんの死に対して自分がまったくの無関係だとはすることができません。また、香田証生さんだけでなく、戦闘状態にあるイラクで傷つき、死んでゆく人たちに対しても、同様に自分がまったくの局外者で何の関係もないで済ますことができません。
 イラクの現状に対して私が持っている「責任」は、非常に微々たるものでしかないと思います。また、「責任」があるにしても、私に何ができるのかと言えば、何もできません。そんな他国の状況をうんぬんするどころか、自分の身さえもままならないというのが正直なところです。
 そんなことは考えるまでもなくわかることです。しかし、そうしたことがわかっていても、香田証生さんの死やイラクの現状というものを意識すれば、怒りと悲しみがとぐろを巻いて心の中をのたうちまわります。さらに、そうしたことに対してどうすることもできないばかりか、自分自身の人生さえままならずにいるという現実や、そんな現実を迎えている卑小な自分と向き合わなければならなくなり、余計にやりきれない気持ちになってしまうとともに、どうしようもない虚無感の中に沈み込んでしまいます。
 だから、そうしたことを意識させるようなことをする連中に、腹を立ててしまうんです。でも、現実からは逃れようもなく、逃げ回ったところで結局は、意識したくないものを目の前に突きつけられる結果になってしまうんですね(あ〜、気分が悪いし、ウツだ)。

 実は、香田証生さんを殺害する際の写真を見てしまったんです。しかし、「ほっとけ」と言った以上、あれは見ておかなければならなかったとも思っています。
 そうやって多少なりともその死の重さを引き受けたとしても、私に何もできないことには変わりはないでしょうが、それでもああした言葉を吐いた以上、その現実は知っておかねばならないのでしょう(でも、写真からして犯行グループがネット上で流した映像は、多分、正視していることはムリだと思う)。

 最後に、香田証生さんのご冥福をお祈りします。

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